「打ち傷」(1ペテロ2章24節) ( 2.5/2023 )
「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷ゆえに、あなたがたは癒やされた。」(24節)

詩篇16篇10節、使徒の働き2章24節、27節、31節から36節に主イエス様が神に選ばれたことを説明しています。そして、続いて38節から40節に具体的な勧めをしています。闇の中から光の中に主は召してくださいます(9節)。救われたなら主を証ししましょう。

1.人生は変えられる(10節)

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な霊の乳を慕い求めましょう。それによって救いを得るためです(1節)。主のもとに来ましょう。主は人には捨てられましたが神には選ばれた、尊い生ける石です(4節)。この方に信頼する者は決して失望させられることがありません(6節)。「あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。」転機が来たのです。ポイントはみことばに従うことです(8節)。(わたくしもマルコ9章23節、1ヨハネ1章7節、9節、コロサイ1章27節、ヨハネ6章27節、ヨナ1章17節と、いっぱいみことばをいただいてきました。)
「この方に信頼する者は 決して失望させられることがない。」(6節)主イエス様は生きておられます。

2.肉の欲を避けよ(11節)

「あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」肉の欲を避けなければなりません。私たちは旅人であり、寄留者です。

3.キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた(24節)

これはどういう意味でしょうか。それは、その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされたという意味です。以前元銀行マンだった兄弟がこのみことばに反応されました。借財が残っている人生と返済し終えた人生は違います。主イエス様が神(主)の御前にある私共の人生の負債をすべて払い終えてくださったのです。
それは、私たちが罪を離れ、義のためにいきるためです。(24節)

今日からは、主イエス様に担われた人生なのです。主には打ち傷があり、もう罪に苦しめられることはないのです。救いのしるしは主の打ち傷です。罪の奴隷の人生は変えられるのです。

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