「風」(ホセア4章19節) ( 2.26/2023 )
「風はその翼で彼らを巻き込む。彼らは自分たちのいけにえのゆえに恥を見る。」(19節)

19節「風はその翼で彼らを巻き込む。彼らは自分たちのいけにえのゆえに恥を見る。」これは16節「頑迷」と関係があると思われます。このホセア書は救い主を待つことば6章1節「癒し」てくださる主を待つ書です。そして新約聖書でマタイが救いに与かり、主イエス様を招き取税人や罪人と共に食事をしている時に主はホセア書6章6節を語られるのです。

本日開いております4章は姦淫と言う言葉が満ちています。北イスラエルがヤロブアムを指導者として2頭の子牛の偶像を作って偶像礼拝を始め(1列王12章25節〜)、やがてバアルとアシタロテの礼拝に陥っていく中で民は神に対する霊的な姦淫と共に生活の中でも姦淫という罪に陥ってしまうのです。そのような中で、19節に風として表されているアッシリアが20年後に北イスラエルを滅ぼすことになるのです。

8節9節によりますと祭司も堕落して民のとがに望みをかけるような状態に陥っているというのです。17節に「偶像にくみしている」18節「恥を愛してやまない」

聖霊が下って主イエス様を知るまでのペテロも、ルカ22章33節によりますと、自分の力で信仰を保つことができると思っていました。
しかし、聖霊が下ってペテロが悟ったこと、それは、ルカ22章32節の「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。」という主イエス様でした。

自分についての頑迷な執着ではなく、主イエス様に望みを抱き、ただ主イエス様を伝える人に、ペテロは聖霊が下った後に造り変えられます。1ペテロ2章23節「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても脅すことをせず」祈ってくれていた(マタイ27章14節)のは自分のためであったと気づくのです。

自分の力ではなく、愛でもなく、ただここによみがえって生きていてくださる主イエス様によって自分も新しく生まれさせられている(1ペテロ1章3節)と悟るのです。

頑迷は風のように巻かれて滅ぼされます。ただ、よみがえられた主イエス様だけは私共のそばに(ガラテヤ1章4節)、そして内にいまして、今も主権者であられるのです。このお方以外のものを伝えることはヤロブアムに等しく、間違っているのです。

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