「祈りの母」(サムエル記上1章12〜20,26〜28節) ( 5.10/2010 )
「その顔は、もはや悲しげではなくなった。」(18節)
今日は母の日。聖書の中に出てくる理想の母ハンナの信仰に学びたい。

1.涙の母
時はイスラエルの暗黒時代。霊的惰眠の時代に神の人サムエルは生れた。サムエルは母ハンナの涙から生れた。ハンナには子どもが生まれなかった。夫の他の妻は妬みからか、ハンナを苦しめ、神を恨ませようとした。しかし、ハンナは争わず、夫に訴えず、ただ涙をもって忍耐した。何年も苦しみは続いた。信仰の人が生れる前に、母の信仰が十分に備えられなければならなかった。

2.祈りの母
ついにハンナは神に祈った。苦しみは人を神に向かわせる。八方ふさがってもクリスチャンには天の窓が開いている。ハンナは夫にも、霊的盲目の祭司にも頼らず、生ける万軍の主の名を呼んで「心を注ぎ出して」祈った。ついに言葉にもならないうめきとなった。しかし、次第にハンナの祈りは変わった。自己中心の祈りから、神に明け渡す祈りに変わった。「〜がありさえすれば」から「〜がなくても」の信仰に変えられた。そして、神への深い信頼と神にささげる平安により、「その顔はもはや悲しげでなくなった」。

3.献身の母
ついにハンナにサムエルが生れた。神は祈りを聞いてくださる。しかし、母はその子を神にささげた。ここが祝福の秘訣。私たちの持てるすべては神が与えてくださったもの。家族も、持ち物も、賜物も、命もすべて。しかし、それは神から恵みの良き管理人(Tペテロ4;10)。として預かっているものに他ならない。自分のものではない。神にささげ、神のために用いられる時、神は豊かに祝福してくださる。

「その子はなお幼かった」。痛みのない献げものはない。しかし、もう一度自らには何もないこと、神がすべてであることを告白し、神を信じた。イサクを信じたアブラハム、洪水の後にはん祭の動物をささげたノアのように。

その信仰の姿勢は授乳期にサムエルの心にしっかりと注がれた。モーセのように。信仰が消えかけていた時代、この真の信仰の人が造られ、その信仰によりサムエルが育てられ、国は救われた。今も時代が悪いと言う中にあって、真の信仰の人が造られること、又、信仰の人が生み出されることが時代を救う鍵。

結.すべてを神の御手に

神の深い御心を知るために神との深い交わりに入らせて頂こう。そして自らのすべてを神にささげよう。神は御計画のために用いる器を必要とされている。

(説教者 牧師夫人 田代美雪)

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