「神の御性質にあずかる者」(2ペテロ1章4節) ( 4.23/2023 )
「その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神の御性質にあずかる者となるためです。」(4節)

この2ペテロの手紙はペテロが殉教する前に書いた手紙であり、信仰による義を逆手にとって放縦に身をゆだねることのないようにキリスト者がどのように生きるべきかを教えています。それを、主イエス様の御そば近く生き、主イエスを見た者として語っています。

1. 主イエスの神としての御力(3節)

人は死後どのようになるのか、どこへ行くことになるのか。それは人として生まれたからには避けることのできない問題です。そして、1ペテロの手紙で分かることは、金銀を愛していたこの手紙の著者が1章3節「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みをもたせてくださいました。」と現実の生活の命は苦難に満ちている。しかし、既に主イエスを信じる信仰のゆえに神と和解し朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受けるものとなっていると、自分の生涯が造り変えられたことと共に、すべての主イエス様を信じる者に対してそう語っています。

そしてその御力はいのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。主の御力とは2コリント5章21節、主イエス様の十字架です。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」人類の罪はどんな実を結ぶのか、それは主イエス様の十字架に見ることができる裁きなのだと聖書ははっきりと語っています。しかし、主イエス様が私共の罪がどんなに大きなものであってもそれを代わりに負って下さって、義を与えてくださったのです。

2.神の性質にあずかる者(4節)

ある聖会のメッセージが終わった時、お祈りをささげた牧師は「わたしもあなたを愛しております。」と祈りました。私たちは主イエス様の血潮の代価によって悪魔の手から買い戻していただいた者たちです。ですから、私共の持つべき祈り、すなわち、神への求めは神ご自身であるべきではないでしょうか。ペテロは、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。そしてそれを備え、ますます豊かになるように勧めています。

3.威光の目撃者として(16節)

彼のメッセージは要約すると主イエス・キリストの力と来臨でした(16節)。そして、彼は何度も繰り返し語って信徒たちにそのことを思い起こさせました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」17節18節によりますと、神が喜ばれる者である主イエス様を私共は聖書を通して知ることが許されています。日の出、すなわち夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めていましょう。

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