「いけにえではなく神を知ることを」(ホセア6章6節) ( 4.30/2023 )
「わたしが喜びとするのは真実の愛。
いけにえではない。
全焼のささげ物よりむしろ、
神を知ることである。」(6節)

人は神に対する信仰をいだいたとき、恐らく1節から3節のような信仰をいだくものだ。しかし、神がご覧になるとそれは朝もやのような愛、霧のような愛だ(4節)と言ってあります。厳しいなと感じますが、実際に神はご覧になったうえでこのことを語っておられると(10節)、神に仕える祭司たちの行動を神の目でご覧になると(8節、9節)そう見えると語っておられます。

1.旧約の歴史の中の真実な愛

1サムエル15章22節、23節
詩篇40篇6節〜8節
エレミヤ7章21節〜23節
ホセア6章6節
アモス5章21節〜23節
ミカ6章6節〜8節

2.主イエス様が来られて見た真実な愛

マタイ9章13節「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 それは世の中で苦しんでいる人々と共に生活される主イエス様の姿でした。そして、罪を責めるのではなく罪を負う生活でした。

神は主イエス様の十字架によってさばきに代えて愛を示されています。どのような平和や愛にも勝って、まず神からの愛を受け止めてみませんか。すなわち、私共のすべての罪が主イエス様の十字架の上にあることを信じてみませんか。もし信じるなら悪魔の鎖は解けるのです。そして神に従って生きることを始めてみませんか。具体的には、愛を必要としている方々を教会に招きましょう。神は打たれますが包んでくださるのです(1節)。教会におられるのは主イエス様だけなのです。人生が私共の生涯を決めるのではありません。主イエス様との出会いが人生を決め造り変えるのです。

TOP