「待ち時間になすべきこと」(2ペテロ3章15節) ( 5.14/2023 )
「また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。」(15節)

事件の発端は、使徒の働き1章4節「使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。』」です。そして1章8節の有名な聖書の言葉が続いてでてまいります。聖霊が来なければ、人は救われないよというのです。なぜか、それはヨハネ15章26節、27節「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。あなたがたも証しします。初めからわたしと一緒にいたからです。」、16章14節「御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。」救いとはお金持ちになることではありません。神への反逆を赦され神と和解することです。そして主イエス様のことがわかるようになることです。今も永遠の聖霊によってとりなし続けてくださるお方を聖霊は教えてくださるのです。そして、主イエス様の十字架の贖いを信じ信頼する者はどんな罪を犯した者も罪を赦されるのです。

わたくしは説教準備中に居眠りしまして、そこで昔の自分の姿を夢で見ました。不思議だったのはその罪の生活を隠しもせず開け広げて見せていた点でした。でも、そんな生活をしていたわたくしもイエス様の十字架の尊い苦しみと犠牲のゆえに救っていただいたのです。それだけでなく、本日は主イエス様の現在の所在(マルコ16章19節「主イエスは彼らに語った後、天にあげられ、神の右の座に着かれた。」、そして聖霊によって今も共にいてくださることと)やがてこの地上に再びおいでくださるお方のことを聖霊によって教えていただき語らせていただきたいと思っております。

まず、神がおられるのなら…という質問を何度もいただいたことがございます。その回答としましては主イエス様が死に勝利してよみがえっておられるということはサタンは既に完全に敗北しているということです。すなわち悪魔の最後の武器であるはずの死さえも既に主イエス様に征服されているということです。ゆえに、どんな困難が与えられたとしても神から離れる理由には不十分なのです。しかし、貧困も病も孤独もそうたやすい敵ではございません。ですので、本日はこの先に与えられる主イエス様の御計画を聖霊から学びましょう。

聖霊が主イエス様を思い起こさせてくださるとヨハネ14章26節にございます。「しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

救いとは、マタイ16章24節から27節です。

そしてヨハネ16章8節から11節にイエス様の十字架と復活と昇天の意味が語られています。罪とはイエス様を信じないこと、義とはイエス様の十字架復活昇天によってどんな罪を犯した人も主イエス様を信じるなら罪を赦されるということ、裁きとはサタンは主イエス様の復活によって既に裁かれているということです。

ヨハネ16章14節「御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。」今も神の右の座で生きておられる主イエス様の御業を御霊が私たちに伝え、救い、証しさせてくださるのです。

ペテロが聖霊によって主イエス様から教えられたところによりますと、2ペテロ3章10節地は無くなってしまいます。世の苦しみは私たちの心を主から離れさせます。しかし9節、主はすべての人が悔い改めることを望んでおられます。主の願いは9節、誰も滅びることがなくです。13節主は義の住む新しい天と新しい地を備えてくださっています。悔い改めるとは、十字架にかかってすべてを負ってくださり復活し昇天されてサタンに勝っておられる主イエス様を知って、主を信じて愛し待ち望む生活を始めることです。主の忍耐とは、とこしえの御霊によって神におささげになったその血(へブル9章14節)があるということです。罪の赦しはこのとりなしにあります。待ち時間に生きておられるイエス様を伝えましょう。

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