「まやかし」(ホセア7章13節) ( 5.21/2023 ) |
「わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。」(13節) 7章はイスラエルを癒すとき、という書き出しです。ですから、私共でしたら病院に入って定期検診を受けるようなものです。そのとき、考えられないようなことが記されています。偽りを行い、盗人が押し入り、略奪隊が襲うというのです。そして、2節に事の真相が明らかにされます。それは、政治の問題ではなく、神の御前における悪の問題なのだと。 すなわち、私共が取り組まなければならない問題は経済でも健康でも人間関係でも会社の問題でもなく、まずは神との関係なのです。そして、それを阻む悪、すなわち罪に誘う悪魔に注意していなければならないのです。 「しかし、彼らは考えもしない。 わたしが彼らのすべての悪をおぼえていることを。 今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、 わたしの面前にある。」と2節にある通りです。 そして罪とは火のように、6節朝になるとかまどは燃え立つ火のように燃えるのだとその恐ろしさが表現されています。 そして、7節「呼び求めるものはいない」9節「気づかない」白髪なのに、片面しか焼けていないパンなのに気づいていないと指摘されています。 そして、11節、12節には彼ら(イスラエル)がエジプトやアッシリアに助けを求めていることについて良識がないと診断されています。神は彼らを12節、引き降ろし、懲らしめるのです。 13節からは、まとめと言いますか神様の側の思いが披瀝されています。そこに明らかにされていますのはまやかしを言う者を神は嫌われるということです。 しかし、まやかしへと導く魅力的な物にとらわれていることが明らかにされています。それは弓です。 役に立たない弓(欺きの弓)にしてしまう原因が記されています。 1.13節「わたしから離れ去った。…わたしに背いた…わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。」贖い出すことができるのは神様のみである。その神様にまやかしを言ってはいけない。自分の力で救われようとしてはいけない。 2.14節「心からわたしに向かって叫ばずに、自分たちの床の上で泣きわめいている。穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。しかし、わたしからは離れて行く。」穀物と新しいぶどう酒には近づくが、神には近づかない。 3.15節「わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに、このわたしに対して悪事を企む。」、力は神様からくることを忘れている。 弓は体裁が良いのです。でも悪魔に向かって欺きの弓は力が全くないのです。形だけの礼拝ではなく、悪魔と決別しまごころから神に従うことを決心しなければなりません。そのためには神様の贖い、すなわち、主イエス様の十字架に対する信仰がなければ問題は死んでも可決しません。生きているうちに主イエス様の十字架の上に自分のすべての罪が担われたことを信じ、神に立ち返らせていただきましょう。 ある牢獄に牧師が訪問しまして、「あなたはどんな罪でここに来たのですか」と尋ねたら、「わたしの顔が犯罪者に似ていたからです」と答えたそうです。2節「しかし、彼らは考えもしない。わたしが彼らのすべての悪をおぼえていることを。今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、わたしの面前にある。」 神には何も隠さなくてよいのです。心の奥底にある汚いものも、すべてを明らかにしてすべてを主イエス様にお任せしましょう。イエス様は必ず担ってくださいます。そうすれば必ず神の御顔の見える生活に入れられます。欺きの弓では死には勝てません。 |
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