「御子イエスの血」(1ヨハネ1章5節〜9節) ( 6.4/2023 ) |
「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」(7節) 人はそれぞれいろいろなものに囚われています。ガラテヤ5章19節から21節には「悪のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。」とあります。人類はもうお手上げ状態なのです。なぜなら、1ヨハネ1章5節6節に「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。」神は光であり、闇が全くない、すなわち、神は罪を容認しておられません。それでまずは、7節、闇の中を歩む生活から光の中を歩む生活へと生活を変えなさいと勧めています。ガラテヤ5章19節から21節から救われたいと思ったら、救われてから教会に来るのではなく、救われるために目的をもって教会に来ていただきたいのです。 もし、教会に来てくださったら主イエス様は交わりという代価を払ってくださいます。交わりとはコイノーニアという言葉ですが、簡単に言いますと出資してくださるということです。悪魔に身代金を払えない私共のために主イエス様が命という代価を払ってくださって(レビ記17章11節「いのちとして宥めを行うのは血である。」)罪、すなわち闇の支配から救ってくださるのです。罪に気付いたら罪を認め、主イエス様に助けを求めましょう。 交わりは、受けることと共に負うことも意味します。私共もまた主イエス様に倣って隣人のために出資するのです。すなわち、命を用いて愛するのです。 真実な神には、真実な告白(認罪)でもって交わりをいただくのです。御子イエスの命があなたの全生涯を悪魔から買い取ってくださいます。この手紙の書かれた目的は1章3節「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父、また御子イエス・キリストとの交わりです。」5章13節「神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。」そして1章4節「これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。」御子の十字架によって実現した交わりは永遠のいのちであり喜びなのです。そしてこの神との平和は認罪から始まります。そしてそれは贖って余りある主イエス様の血潮の故なのです。誠に、神様に申し訳ないことなのですが、御子イエスの血こそ交わり(コイノーニア)の実なのです。 |
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