「寄留の旅人でも」(創世記23章1〜20節) ( 5.13/2011 ) |
「わたしはあなたがたのうちの旅の者で寄留者ですが、わたしの死人を出して葬るため、あなたがたのうちにわたしの所有として一つの墓地をください」。(4節) この創世記23章にはアブラハムが法的な方法で土地を取得した経緯が記されています。それは、サラが亡くなった時の出来事でした。サラが亡くなり、冷たくなり話しかけても返事も出来なくなった時、アブラハムのサラへの愛はさらに大きくなったのではないかと思います。 アブラハムはこのところまで神の約束(15章19節)にもかかわらず、21章29から31節で井戸の所有権を持っただけで土地を持っていませんでした。しかし、彼は妻サラのために神のことばや約束云々ではなく私有の墓地を求めました。アブラハムが求めた土地の所有者であったエフロンは400シケルで畑と洞穴を売ったというのですが、これは一般的には法外な値段であったと理解されています。けれども、アブラハムにとってサラは、神の約束や経済的な問題を越えて大切な存在であったことを伝えているのではないでしょうか? 最初に約束の地に眠ったのはサラであり、アブラハムの信仰のゆえに一番苦難を強いられた方でした。借りた土地でなく、所有の地にゆっくりと休めるようにとアブラハムは彼女のために配慮しました。 「サラはカナンの地のキリアテ・アルバすなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた。」(2節)私たちの信仰を置く場所は今は何処何処という約束された地名は無いのかもしれませんが、アブラハムと同様に弱い立場にあったとしても、生きている家族をいま愛することができたら幸いだと感じます。 |
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