「さあ、子どもたち」(1ヨハネ2章28節) ( 6.11/2023 )
「さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません。」(28節)

昔、関口〜という司会者と渡辺〜という司会者が「パジェロ、パジェロ」と叫びながら、パジェロという自動車の景品を獲得しようとする芸能人たちを応援するバラエティー番組がありました。私はその時代と遠くない時代に同じような形の車を自由に乗っていいよ、と言われ、パジェロは取得税、重量税、自動車税、任意保険、オイル交換代、車検代、ガソリン代は自分もちだったと思うのですが、私は取得税から始まってガソリン代まで払っていただいて車に乗せていただきました。しかし、ガソリン代が無くて、自転車で訪問していました。隣人が払ってくれると言っても気分的に乗りにくいのです。やがて自動車税も払えないのか、と突っ込んで聞かれまして、「はい、お金がありませんから」と答えますと、じゃあ、全然乗っていないし処分しようかとおっしゃってくださったそんな出来事がありました。

さあ、子どもたち、キリストにとどまりなさい。というのが今日のメッセージです。キリストはお金持ちでも何でもありません。私たちを愛して、2節には世全体を愛して罪のための宥めのささげ物となってくださったとあり、罪を犯さないようになるようにというのがこの章の主要なメッセージです。

1節、しかしもし、誰かが罪を犯したなら、私たちには義なるイエス・キリストがおられるのです。彼は今も生きておられて御父の前でとりなしてくださっています。赦される道はイエス様によって開かれているのです。もし、聖霊によってイエスは主(イエス様に従って生きていきます。)(1コリント12章3節)と告白(ホモロゲオー)心にある思いと同じことを告げるならば救われるのです。(23節、24節)

聖霊は、27節、はっきりと(危ないぞ)と語ってくださったお方です。このお方の言葉に今後は聞き従ってみませんか。その人は6節イエスが歩まれたように歩まなければなりません。15節、世も世にあるものも愛してはいけません。27節御子のうちに、28節キリストのうちにとどまりましょう。

17節、世と世の欲は過ぎ去るのです。

22節、あなたではなく、サタンでもなく、イエスがキリストです。自分の力で何もしなくて良いのです。ただ主イエス様の贖いのみわざを信じるのです。そして神と和解し聖霊に聞き従うのです。
神は豊かさではなく(16節)正しさを生み出されるようです(29節)。さあ、子どもからやり直しましょう。

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