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「愛の本質」(1ヨハネ4章10節) ( 7.10/2023 ) |
「私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 宥めのささげ物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。」(10節) 1.愛の本質 愛の本質とは宥めだと言っています。すなわち、神の御前に立たせるものです。罪(自己中心のこと)しかない人類を神の御前に立たせうるもの、それは宥めであり、それが愛なのです。すなわち、愛の本質は人を神の御前に立たせるものなのです。こんなに尊いものが他にあるでしょうか。 2.宥めのささげ物としての御子 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。」神の怒りをなだめることができる宥めのささげ物は神の御子でした。神の最も大切なもので宥めがなされたのです。私たちが11節にございますように互いに愛し合うときにも最も大切なものを必要としているのではないでしょうか。 3.御霊の役割 もし、神が御霊を与えてくださり「御父が御子を世の救い主として遣わされた。」(14節)「イエスが神の御子である。」(15節)と告白することができるなら神はその人のうちにとどまってくださいます。そして、今日のポイントはそのことが真実(本当)であるかどうかを証しする方がおられます。それが御霊です。「神が御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることがわかります。」(13節)御霊はイエス様が神の御子であることを証しします(ヨハネ16章14節)。御霊を与えられたなら、1ヨハネ4章17節にございますようにキリストと同じように歩むようにされます。御霊の実は愛です(ガラテヤ5章22節)。 最後に恐れの問題がでてきます。今日から人の顔を恐れる人生から神を恐れる人生に入れられましょう。「神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの戒めを神から受けています。」(21節)他人の顔を求めるのではなく神の愛に立ち愛し抜きましょう。そのことを通して目に見えない神を愛しましょう(20節)。愛は御霊の実です。肉の働きでは絶対に真似はできないのです。御子の御足跡をたどる辛い時も先が見えない時も、御子を告白させてくださる御霊(御霊が語ってくださる聖句)を心の支えとしましょう(13節、17節)。「父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(ヨハネ14章16節)御霊によって神の愛を知りましょう。そして愛する方々と共に背に波を受けるように持ち運ばれましょう。 |
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