「耕地を開拓せよ」(ホセア10章12節) ( 9.1/2023 )
「あなたがたは正義の種を播き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」(12節)

鍵は9節と10節にあります。ギブアでなした愚行をなぜ今も繰り返すのかという思いが伝わってくるように感じます。ベニアミン族が罪を犯しその悪を除くためにイスラエルは苦心してきたのです(士師記19章20章、または王政樹立1サムエル10章11章12章)。しかし、「イスラエルよ、ギブアの日以来、あなたは罪を犯してきた」それはまたイスラエル全体の罪を表すものでもあったのです。さて、このホセア書10章で語られている(10節)「二つの不義」は、いったい何のことなのでしょうか。わたくしは1節祭壇の数を増やした、石の柱を豊かにしたという偶像礼拝特有の特徴、すなわち、自分の欲望の探求から神主権へ立ち返るようにとの警告、そして、13節の自分の力にそして、自分の有志の数により頼む姿勢が神のさばきを招いたことからしますと、偶像崇拝と神に頼まない高慢が二つの不義に相当すると考えます。

では、この10章で語られている福音とは何なのでしょうか。それは、私共の立場からは思い通りにならない人生なのですが、主はエフライムを見捨てておられないこと、すなわちくびきを掛けて主ご自身がのってくださり御してくださること、これが福音ではないかと思うのです。乗り心地の悪い農耕馬に乗りたがる人はいません。しかしヨハネ13章1節によりますと「イエスは、彼らを最後まで愛された。」とあります。

わたくし共には、乗り越えられない問題や苦しみが起こってまいります。すなわち、12節の「あなたがた」でありたいと願っていても、13節、14節のような人生になってしまうことがあります。すなわち、1列王12章29節にございますが、ベテルに金の子牛を置いてしまうことがあるかもしれません。でも、解決があるとするならばそれは主に求めることだと思います。

教会の早天祈祷会はあなたのためにあります。主に祈るなら主は助け励ましてくださるのです。今が主を求める時です。主イエス様の十字架のゆえに、どんな時も祈ることは許されているのです。

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