「隠されたあわれみ」(ホセア13章14節) ( 1.28/2024 )
「わたしはよみの力から彼らを贖い出し、
死から彼らを贖う。
死よ、おまえのとげはどこにあるのか。
よみよ、おまえの針はどこにあるのか。
あわれみはわたしの目から隠されている。」(14節)

“I will set these people free from the power of the grave.
I will save them from death.
Death where are your plagues?
Grave where is your power to destroy?
“I will no longer pity Ephraim.(NIRV)

エフラエムというのは北イスラエルの中でも最も豊かで栄えていた地域でした。しかし、彼らの心は造り主である神から離れてしまっていました。歴史を振り返って告発されています。4節エジプトで奴隷であった時から、5節出エジプトして荒野を旅していた時も、10節カナンに入り約束の地を占領して王を得た時にも神の愛を体験していたのですが、最も大切な神への愛を忘れてしまいました。

重要な問題は、13節「時が来ても、母の胎から出て来ない」すなわち、7節、8節、10節、11節と神からの困難を受けても悔い改めの時が来たことを悟らないというのです。その結果、15節宝物蔵は空になり、16節最も大切なものが剣に切り裂かれると預言されています。そしてアッシリアに滅ぼされてしまうのです。本日の中心聖句は14節です。造り主である神、すなわち主ご自身が死からエフライムを贖うというのです。けれども、あわれみが隠されているというのです。

あわれみは隠されているということは、NIRVでは「もはやあわれまない」と記されておりますが神は愛なのです。ペンテコステの日以来、主の御霊を証しする者たちは変わらず主のあわれみに浴しているのです。

主イエス様の死と復活(マタイ27章62節〜28章10節、マルコ16章1節〜11節、ルカ24章1節〜12節、ヨハネ20章1節〜18節)すなわち、私共が証しすべきなのは自分の功績ではなく、よみがえられ天に昇られ神の右に座られ、御霊を遣わしてくださり、今も共にいてくださる主イエス様の御霊の御業です。空の墓、すなわち死への勝利を証しし続けておられる聖霊を主とし、生きておられる主イエス様を証言しなければなりません。

ヨハネ21章1節から19節を読みますと、ペンテコステの日にペテロが知ったのは主イエス様の現実(reality)です。私たちはサタンが提供する偶像に引き回されず、今も御霊を遣わしてくださって共にいてくださる主イエス様を見つめる必要があります。彼の証しは変わらない愛です。悔い改める時を逃して、主のあわれみを隠されませんように。主のあわれみを見、証言しつつ歩みましょう。

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