「幸いなる交換」(ルカ3章21節) ( 4.22/2024 )
「さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け」
'When all the people were being baptized Jesus was baptized too. And as he was praying heaven was opened. '(Luke 3:21)

進学進級お祝いを本日は致します。何の話かな、と思われる方はガラテヤ2章とエペソ3章を事前にお読みください。これから、全く自分と違う人々の中に入って共に数百日皆さんは学ぶことになります。当然数百日も教室で顔を合わせれば仲良くなるのではないかと思うのですが、(そう簡単なものではないな)と感じる方もおられると思います。詩篇133篇1節Psalm 133:1 'How good and pleasant it is when God’s people live together in peace! '「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは」一つとなるカギは主イエス様です。
私たちを造ってくださった造り主である神様は、ご自身のひとり子であるイエス様を十字架にかけて私たちの罪を代わりに背負わせ、主イエス様を神の御子と信じる者たちを主イエス様の代わりに神の子として受け入れてくださいます。この一連の出来事の最初の神への従順が主イエス様の洗礼です。

このルカ3章21節の主イエス様の洗礼の記事のすぐ前に記されているのは領主ヘロデの悪行です。ヨハネに罪を指摘されたヘロデは罪を捨てて悔い改めたのではなく、ヨハネを牢に閉じ込めました。これが見習ってはならない例で、見習うべき例は主イエス様です。この場合、正しいことを教えた人がヨハネでそれを聞いたヘロデは心を閉ざしました。なぜでしょうか。彼には、罪を悔い改めてへロディアと別れて、正しい生活に戻るには正しいことをする力がなかったからです。私たちもヘロデと同じ道をたどらないためには正しいことをする力が必要です。神様は主イエス様を遣わしてくださって私たちの罪を全部負ってくださいました。私たちは自分では解決できなかったのに主イエス様が十字架の上で私たちの罪を負ってくださったのです。そして信じる者に聖霊を送ってくださって新しい人生を与えてくださいます。今日私たちは聖霊を受ける必要があります。まず、主イエス様の十字架の身代わりの死を信じて神様の赦しを受け取りましょう。そして、自分と全然違う考え方をする人や、生活スタイルが違う人がいても裁くのをやめましょう。強い人も弱い人も主イエス様によって一つにされたのだよと聖書を通して神様が語ってくださっているからです。

では、聖霊を受けるにはどうすればよいのでしょうか。昔、神様はモーセという指導者を立ててイスラエルの人々を奴隷の状態から解放しました。でも、モーセは人々を養う水を準備することはできませんでした。彼は神様の命令に従って岩をたたいただけでした。私たちにこれから必要なことは保護者の皆様や学校の先生、牧師の指導を聞くことですが、それよりずっと大切なことは、一人、トイレの中でもよいですので、たった一人になって神様の声に耳を傾け従うことです。そこから水が流れ出るのです。とりあえず、毎日20分聖書を読んでお祈りする習慣をつけてください。そして、神様との交わりをどんな仕事や友情よりも大切にしてください。岩から水がわき出し流れ出て周りを潤したように皆さんの心にも神様との交わりを通して必ず聖霊は来てくださり愛が満ち溢れます。

ある牧師先生が夢を見たそうです。夢の中で熱心を分析機にかけました。すると、出てきた解析結果は、総量100ポンド中、こりかたまり10ポンド、野心23ポンド、好誉心19ポンド、宗派の自慢15ポンド、才智の自慢14ポンド、権勢を貪る心12ポンド、正味の熱心7ポンド(内訳、神を愛する心4ポンド、人を愛する心3ポンド)であったそうです。でも、神様が出会わせてくださったという神の御計画の中にいるのですから毎日聖書を読み祈り深く歩み、互いに愛し合って日々神様に造り変えて頂きましょう。罪の持って行き場を知ってください。祈って愛を主イエス様から受け取りましょう。

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