「王の出現」(マタイ2章2節) ( 6.9/2024 )
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」(2節)

'They asked “Where is the child who has been born to be king of the Jews? We saw his star when it rose. Now we have come to worship him.” '(Matthew 2:2)

事件の発端は、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。」という東方から来た博士たちの質問でした。

当時ローマ帝国からユダヤ人の王として立てられていたヘロデ王は不安を感じ何をしたのかと言いますと、調査したのです。さすがに王様だけあって聡明です。ところが恐ろしいことに、このことが事実であると確認するとお生まれになった子ども(主イエス様)の殺害を計画するのです。当時の人々の歴史を記しているマタイの福音書はその事件をその中に記録しています。

思い煩いも、計画も、武器も捨てて神様にお任せして新しい王の出現(人生の危機)に向かっていくには、

1,星

東方の博士たちは星に導かれ王に出会い、黄金、乳香、没薬を主イエス様にささげました。彼らは財だけでなく時間という彼らの人生も添えて主イエス様にささげました。

2.み告げ

ヨセフはみ使いのみ告げを聞きました。そしてヨセフやマリヤも主イエス様のために用いられました。一番幼く抗う力のない幼子主イエス様を守りながらエジプトまで逃がすのです。

3.罪の悲しみ(激しい怒り16節、など)

星を通して神の計画を知れるわけでもなく、み使いの声を夢で聞くことができるわけでもない私たちですが、ヘロデ王のように数十年この世で生きる中で罪の重荷を知っています。
そして今日はヘロデと同じように王の出現というニュースを聞いています。当時この知らせのために人々は動揺し、多くの子どもたちが犠牲になりました。そして現代も新しい王の存在を認めることができないために神に近づけない人々で溢れています。すなわち、王はヘロデでないといけないと考える人、いや、自分自身が王であると考えている方など多くの違った思いを持っておられる方がおられます。しかし主イエス様は確かに歴史の中で神の御手によって守られたお方なのだと紹介されています。神はこれからも主イエス様が王であることを証明し続けてくださるでしょう。

スカルの井戸端で主イエス様に出会った女性は、主イエス様に出会ったときそれまで抱えてきた問題すべてが解決して町に出て行って主イエス様を宣伝しました(ヨハネ4章29節)。
今日、私たちにも罪を解決してくださる王が必要です。私たちもそれぞれが自分の力で戦っている問題のために、新しい王として主イエス様をお迎えする必要があるのではないでしょうか。

主イエス様は、イザヤ書53章に預言されています。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主はわたしたちすべての者の咎を彼に負わせた。」(4節〜6節)

これが王である主イエス様の姿です。主イエス様を王として、剣ではなく、宝物も無くてもイザヤ書53章のみことばでお迎えしてみませんか。彼の御前に問題を披歴するなら、彼がその問題を負い解決してくださいます。そして主イエス様を知ったなら彼の御国を他の人々に伝えましょう。(苦しみを打ち明けることすら難しくてもヨハネ4章の女性は「渇くことのない水をください」と告白しただけで救われました。)

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