「正しいことをすべて実現する」(マタイ3章15節) ( 7.14/2024 ) |
「しかし、イエスは答えられた。『今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。』そこでヨハネは言われたとおりにした。」(15節) 'Jesus replied “Let it be this way for now. It is right for us to do this. It carries out God’s holy plan.” Then John agreed. (Matthew 3:15) ヨハネがユダヤの荒野で教えを宣べ伝えていた時、大勢のパリサイ人やサドカイ人が自分の罪を告白しバプテスマを受けようとしていました。するとヨハネは悔い改めにふさわしい実を結べという厳しい言葉で彼らを叱責しました。パリサイ人とサドカイ人とは神様に対して特に熱心な信仰生活を送っていた人々でした。けれども彼らの熱心は実を結んでいなかったのです。 1.石ころに始まる 9節に「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことができるのです。」と語られています。私たちの血筋や熱心によらず、ただ神のみこころ一つで石ころが変えられるというのです。 2.後に来られる方により 11節「私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」後に来られる主イエス様はバプテスマのヨハネよりも力のあるお方で、聖霊と火でバプテスマを授けてくださるのです。 3.正しいことを実現する 15節に「正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」主イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けることを通して罪のないお方であるにもかかわらず罪人の一人に数えられてくださり、この後十字架上で全人類の罪を負ってくださり、死んで葬られ黄泉に下り、復活された後天に昇り、ご自身の御霊を与えてくださいました。この御霊はなんと私たちの内に来てくださったのです。これは、いくら正しいこととは言ってもあまりにも酷な出来事ではないでしょうか。 しかし、バプテスマのヨハネから洗礼を受けてくださった主イエス様に対する天からの声は「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」というものでした。主イエス様が罪深い私共の所に来てくださること、この聖霊と火のバプテスマによって初めて石ころにも悔い改めの実の道が開かれたのです。正しいことを成就してくださるのは神の子である主イエス様です。罪人として数えられてくださったお方にすべてを打ち明けて歩みましょう。罪人を見て主イエス様は洗礼を受けてくださったのです。石ころにも神は無関心ではないのです。事は始まりました。 |
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