『岩の上の主の教会』(マタイ16章13節〜20節) ( 7.21/2024 )
「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。」(18節)

'Here is what I tell you. You are Peter. On this rock I will build my church. The gates of hell will not be strong enough to destroy it. `(Matthew 16:18)

序.

先日、アライアンスの教会の献堂式に出席しました。基礎が大事と。丁度、教会学校で岩に建てた家の話が出て、金曜のイングリッシュクラスでも同じ話が出ました。テーマは復活の主イエス。どちらにも出席したお母さんが驚いていました。
今朝は「岩の上に建てられた主イエスの教会」について御言葉から聞きましょう。

1. 教会の土台

18節でイエス様が「教会」という名前を出しました。小林先生の『栄光の富W』を読みますと、「教会」という訳は少し誤解を招く言葉だそうです。キリスト教でなくても教会はいろいろありますね。元のエクレーシアのより正確な意味は「聖徒の交わり」。聖徒とはイエス・キリストを私の救い主と告白し、生涯主として従う人。この縦の関係がきちんとできた信徒が呼ばれた集まり、これが教会。そこにあるのは交わりです。

その土台は、「イエスは私の主」という信仰告白、その対象である主イエス様。イエス様が土台で、教会は神の家です。イエス様は教会を「わたしの」ものだと言われました。イエス様は花婿で、教会はイエス様が愛されている花嫁です。

教会の土台は、イエス様が成された十字架による罪からの救いの御業。旧約時代、モーセが岩を打つと水が出て、民は生きました。「その岩とはキリストです」(一コリント10;4)。主イエスはご自分の血を注いで、私を罪から清め、いのちを与えてくださいました。今もそのいのちが私のうちに注がれ続けています。このいのちが私の傷を癒し(イザヤ53章)、罪から立ち返らせ、神に有益な者にしてくださるのです。
しかし、「イエスは主、私の救い主」という告白は、父が語らせてくださるものです(17節)。今は聖霊によって告白させてくださいます。人間の理解や性格ではないのです。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(一コリント12:3)教会をご自分の血で贖われ(使徒20:28)、そして建ててくださるのはイエス様ご自身です。この救いを感謝して、イエス様を愛する交わりが教会です。

2.死に勝つ力

教会の土台は、死からよみがえられた復活のイエス様を信じる信仰です。決して人ではありません。死んで美化されても死者は死者です。死に勝てない人間です。ただひとり、死に勝利されたイエス様だけが神なのです。
渋沢栄一がアメリカ視察に行った時、ジョン・ワナメーカーのいる教会学校に出ま
した。渋沢氏は「儒教もキリスト教も同じです」と言いましたが、ワナメーカーは涙ながらに「孔子は死んで墓に葬られました。キリストも一度死んで葬られました。けれども、彼はよみがえったのです。彼の墓は空になりました。キリストは今も生きています。現にこの部屋におられます」と言いました。視察で一番心に残ったと言いました。

3.教会の使命

カルヴァンは「今後救われるであろう人々も加えられているのが、この宇宙に満ちる目に見えない教会である」と言っています。「この町には、わたしの民がたくさんいるのだから」(使徒18:10)。救いの門を開く鍵は聖書、福音です。鍵は曲がったら開けられません。自分も入れません。真理を曲げて偽りを語ると、人は救いに入れません。私たちは他のものでなく、聖書そのものを読み、聖書から真理を教えられる様、教師である聖霊に聞かなければいけません。愛は時間で量られます。聖書と礼拝に時間を取りましょう。私を血によって救い、復活されたイエス様を愛する交わりに入りましょう。
(説教者;田代美雪牧師)

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