「鳩のように」(マルコによる福音書1章9〜11節) ( 6.13/2011 )
「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。」(9〜10節)

本日は、ペンテコステ礼拝です。ペンテコステとは50日目を意味する言葉ですが、主イエスの昇天から50日目に聖霊が信徒たちに下ったことをお祝いする日です。
そこで、聖霊と主イエス、そして聖霊とわたくしたちの関係を本日は考えてみたいと思います。

聖霊は当時の信徒たちにとってはイエスを証しする勇気を与えてくれるものであったようです。すなわちペンテコステ以来、弟子たちは主イエスを大胆に人々に紹介するようになりました。ところが、イエスにとってのペンテコステは穏やかな日だったようです。
マルコは聖霊がはとのように下ったと紹介しているからです。

はとは、創世記8章10〜11節では洪水後に人々に希望を与えた鳥です。また、マタイ10章16節では、蛇と比較しつつ素直さの象徴とされています。またルカ2章24節にはイエスの両親がささげたささげものに鳩が登場します。これは貧しい人のささげものでした。もし私たちに聖霊が下ってくださるとしたら、どのように、下るのでしょうか?
富んでいる人のささげもののようにではなく、控えめに、狡猾に思慮に富んだ方法でなく素直に、そして絶望しか見えない時にも希望を携えて聖霊は来てくださるようです。イエスでさえ最初から持っていませんでした。私たちにもこの人格をもった存在が必要ではないでしょうか。
 
イエスは強くはなかったでしょう。富んでもいなかったでしょう、けれども、素直に豊に隣人を愛した人物だったのではないでしょうか。人々に希望を与えるような生活が出来たら、とあこがれますが、それは聖霊に行く道を譲ってはじめて実現するようです。聖霊よ来たりませ。

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