「とも書いてある」(マタイ4章7節) ( 8.11/2024 ) |
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」(7節) Jesus answered him “It is also written `Do not test the Lord your God.` (Deuteronomy 6:16) Matthew 4:7 クリスチャンになった後、人は何に苦しむのかと言いますと、それは聖書の言葉です。もし、マタイ4章17節の「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」という主イエス様の悔い改めのご命令を聞きそこなっていた場合、いつまで経っても天の御国(神がご支配される世界)は与えられません。 すなわち、みことばによって悔い改めることがないなら人生は自我の世界の充実の追及に終わってしまいます。 では、どうして悔い改めに至らないのでしょうか。それは、悪魔がみことばを用いてくることについて無知だからです。 主イエス様の荒野の誘惑は人が主イエス様と出会った後に辿る道を表しているように感じます。 第一に出てくる質問が、すなわち3節と6節です。もしあなたが神の子であるなら、です。そしてその筋道とは、 1.石がパンになる奇跡を求める その答えとは、主イエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」とすなわち聖書のことばが無ければ人は生きることはできないと答えられます。そして人は聖書の言葉によって生きて語っていてくださる神と出会うのです。けれども悪魔は、神の子イエス様を信じた者に次の試みを行います。 2.神のことばによる試み 詩篇91篇11節12節を悪魔はイエス様を試みるために用いました。そして多くのクリスチャンはこの試みによって撃沈されてしまいます。なぜなら、みことばだからです。けれども、主イエス様は「〜とも書いてある」と。みことばの試みに対してみことばで答えをされました。そして主イエス様は申命記6章16節「あなたがたの神である主を試みてはならない」を引用されました(マタイ4章10節)。 そして、最大の試みがやってきます。 3.この世のすべての王国と栄華 悪魔の最後の誘惑は悪魔を礼拝せよ、でした。しかし、主イエス様は10節「主にのみ仕えなさい」と申命記6章13節で答えられました。 悪魔の巧妙さはみことばで誘惑する点です。悪魔の知恵にかかる時、どんなみことばも悪用されてしまうかもしれません。けれども、 主イエス様が、17節「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた時、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが次々と主イエス様に従いました。すなわち彼らは確実に悔い改めに導かれたのです。 ではわたくしたちのことを考えてみましょう。天の御国とは主イエス様のご支配のことです。その鍵は悔い改めでした(マタイ4章17節)。悔い改めに導かれるための「〜とも書いてある」と言われるみことばの武器の最大のもの、シモンとアンデレが具体的に用いたみことば、そしてこれでなければ悪魔に対抗できないそのみことばとは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4章19節)でした。私たちも用いさせていただきましょう。「とも書いてある」と。 |
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