「人間の罪」(アモス1章11節) ( 8.25/2024 )
「エドムの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが自分の剣で自分の兄弟を追い、あわれみを断ち、いつまでも怒り、どこまでも激しい怒りを保ち続けたからだ。」(11節)

'The Lord says “The people of Edom have sinned again and again. So I will judge them. They chased Israel with swords that were ready to strike them down. They killed the women of the land. They were angry all the time. Their anger was like a fire that blazed out. It could not be stopped.`
Amos 1:11

テコアとはエルサレムから16キロくらい離れた町だそうです。ですからアモス書はユダの国でいちじく桑の木を育てていた牧者が北イスラエルについて見た幻(1節)です。そしてこの章では周辺諸国のために主が語られたことを彼は告げています。そしてアモス書といえば、5章14節「善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、ともにいてくださる。」と7章2節「神、主よ。どうかお赦しください」かなと思うのですが、ヤロブアム2世の時代というと彼が即位したのは紀元前793年ですので、その頃の預言です。あの地震の2年前とありますので、5章には哀歌が歌われています。

さて、本日は1章ですので、印象的なのは背きと城壁と宮殿です。
訪問伝道で印象的なのは留守の家と、「結構です」というお返事と「間に合っています」というお返事です。ドアが開けられるのは一日で3軒か4軒です。間に合っている理由は自分という神様がいるので、世界を造られたお方には興味ないということだと思います。すなわち、背きです。この1章で主が打たれる主なものは城壁と宮殿です。すべて主が与えてくださったものですが、人間が自分で得たと思い込むときに主は取り除かれるということだと思います。

すなわち、周辺諸国にとっても主が統治者なのです。この日本の国も主の御手にあります。わたくしたちの人生にもこのお方を認めることができるなら正しい道に進むことができるようになります。4章には心を頑なにしてしまうイスラエルの姿が、そして5章には主を求めて生きよとありますが、本日は1章ですので周辺諸国の中にあった罪が主題です。

その罪とは
3節、ダマスコが鉄の脱穀機でギルアデを踏みにじったこと、
6節、ガザがすべての者を捕囚の民としてエドムに引き渡したこと、
9節、ツロもガザと同じことをして兄弟の契りを覚えていなかったこと、
11節、エドムはあわれみを断ち、いつまでも怒り、どこまでも激しい怒りを保ち続けたこと、
13節、アンモンはギルアデの妊婦たちを切り裂いて自分の領土を広げたこと
が裁きの理由でした。
彼らに欠けていたものはあわれみでした。

造り主である主を信じ、主イエス様の贖いの十字架の死を信じ、罪(背きと城壁と宮殿)を悔い改めて、信仰告白をして、よみがえられた主が送って下さった聖霊を心の王座にお迎えしましょう。聖霊は愛なるお方です。

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