「その額」(ヨハネの黙示録14章1節) ( 9.1/2024 )
「また私は見た。すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた。また、子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。」(1節)

'I looked and there in front of me was the Lamb. He was standing on Mount Zion. With him were 144000 people. Written on their foreheads were his name and his Father’s name.` Revelation 14:1

人類は千年前も戦争をしていましたし、今も戦争をしております。黙示録15章1節には、「また私は、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。」とありますので、この14章の惨状も天に現れた徴であるとみることができると思います。14章20節の「血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」というしるしは現在も起こっている問題ではないでしょうか。
ヨハネの時代に起こっていた問題そして将来主イエス様がもう一度来てくださるときになされる裁きも大切ですが、現在の私たちの歩み方についてこの14章から考えてみたいと思います。5節までは十四万四千人の描写、続いて6節以降は御使いが三人現れて第一の御使いは神を恐れ、神に栄光を帰し、礼拝せよと命じ、第二の御使いはバビロンが倒れたと告げ、第三の御使いはもし誰かが獣とその像を拝んで額か手に刻印を受けるならどうなるのかを告げ、12節からは信仰を持ち続けることに関する忍耐と平安について語られていて、14節以降には「刈り取ってください」と叫ぶ御使いが現れ刈り取りがなされたことが記されています。

ポイントを三つにあげますと、
1. 獣の名の刻印を受ける者には、昼も夜も安らぎがない。(11節)
2. 主にあって死ぬ死者は幸いである。…彼らの行いが、彼らとともについて行く。(13節)
3. 地上から贖われた十四万四千人のほかは、学ぶことのできない歌がささげられていた。(3節)

1番と2番は人についての、救われる前の姿と救われた後の姿の対比です。3番は4節にありますが神と子羊に献げられる初穂として、人々の中から贖い出され、子羊の行く所、どこにでもついて行く人しか学べない歌があるということです。

ではこの子羊にどこにでもついて行き、額に子羊の名と、子羊の父の名が記される人になるための条件は何なのでしょうか。

第一には、3節に地上から贖われ、4節には人々の中から贖い出されとありますので主イエス様の十字架の贖いを信じる人です。
第二には、7節、神を恐れ、神に栄光を帰し、神を礼拝する人です。
第三には、13節、主にあって死ぬ死者であることです。

10節、11節の苦しみから救われたのちの人生に必要なことは、12節にございますように、忍耐です。苦しみの中にある時には獣の刻印を受けているのか、子羊と子羊の父の名が記されているのか不安になるのではないでしょうか。ですから隣人のことは主にお任せして、自分自身のために主の助けを求めましょう(マルコ9章24節)。自分自身が贖い出されたように死や労苦は安らぎと主への礼拝につながっています(黙示録14章13節)。大切なのは贖い主への礼拝です(14章7節、14節)。なぜなら子羊がいてくださらなければ何も始まらないのです。ピシャっと切ってくださるお方が。

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