「どうして神が分からないのか」(アモス2章11節) ( 9.22/2024 )
「わたしが、あなたがたの息子たちから預言者を、あなたがたの若者からナジル人を起こしたのだ。そうではなかったか。イスラエルの子らよ。−主のことばー」(11節)

'I raised up prophets from among your children. I also set apart for myself some of your young people to be Nazirites. Isn’t that true people of Israel?” announces the Lord.` (Amos 2:11)

昨年末の大分市内の宗教団体総数は439、その内訳は神社神道216、教派神道22、仏教151、キリスト教8、諸教団42です。すなわち、道徳を説く宗教団体は大分市内に431団体もあります。けれども、人を罪(造り主である神への反逆)から救う力のある真の生きておられる神を説くキリスト教会は8団体、宗教団体数の全体の比率で考えましても2パーセントにも達していないのが現状です。

更に2020年の大分市の人口475614人を宗教団体数で割ってみますと、一団体あたり1083人となります。しかし実際に信徒数が1083人もいる団体は数えることができるくらいしかないと思いますので、大分市民の大半が無宗教であるということです。ではどうして無宗教、すなわち造り主である神が分からないのでしょうか。キリスト教会が少ないからというのが一つの原因でしょう。けれどもそれだけではないというのがこのところのメッセージです。

アモス書2章には、モアブ、ユダ、イスラエルという三つの国家がそれぞれ犯した罪と、神によるさばきが預言されています。その中で特に罪深い国家として強調されている国家はイスラエルです。その罪とは9節と10節にございますけれども、出エジプトさせ、アモリ人を滅ぼし、アモリ人の土地を所有させたのは神であるのに、神が立てたナジル人に酒を飲ませ、預言者には預言するなと言ったというのです。すなわち、神が立てられた器である聖別されたナジル人を世俗化させ、預言者たちの口を封じて神のみこころを無視したというのです。

そしてその結果、イスラエルは堕落して、6節から8節ですが金と引き換えに正しい人を売り、履き物一足のために貧しい人を売り、弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げ、子とその父が同じ女のもとに通い、すべての祭壇のそばで質に取った衣服の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を自分たちの神の宮で飲んでいました。そして神はこの状態を放置されるお方ではなく裁かれるのです。11節から16節をお読みください。勇士も自分を救えない。これは罪に対する敗北を暗示しているだけでなく、紀元前722年アッシリアによってイスラエルのサマリアは陥落し捕囚となりました。神の審判には誰一人抗えないことを意味しています。

では、いつ私たちはナジル人に酒を飲ませて、どのように預言者たちに預言するなと言ったのでしょうか。アモスを通して神が指摘されているのは、11節です。
「わたしが、あなたがたの息子たちから預言者を、あなたがたの若者からナジル人を起こしたのだ。そうではなかったか。イスラエルの子らよ。−主のことばー」です。

神が分からず罪に敗北する生活は、奉仕者たちを立てたのは神であることを忘れてナジル人を、そして預言者を認めず無視した結果だったのです。すなわち、皆様に比べて神に仕える牧師がどんなに小さな器であったとしても神によって立てられたのですから語られる神のみことばに聞き従う必要があるのです。それが、神を知る方法であり、罪と神のさばきから救われるための方法です。

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