「御霊のうめき」(ローマ8章26節) ( 9.29/2024 )
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるからです。」(26節)

'In the same way the Holy Spirit helps us when we are weak. We don’t know what we should pray for. But the Spirit himself prays for us. He prays through groans too deep for words.`Romans 8:26

私たちの人生における究極的な弱さはどこにあるのかと言いますと、それはどう祈ったら良いか分からない点です。人生を変える力のある唯一の神との交わりの手段である祈りがあることは知っていても、どう祈ったらよいのかわからないのが私たちです。けれども、御霊が心のうちにお住まいくださってうめいてくださっているというのです。どうしてうめいてまでとりなす必要があるのでしょうか。それは、神が御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定めてくださったからです(29節)。

この8章29節はローマ書の最高峰と言われております。なぜなら、神の救いの目的がここに記されているからです。それは30節義とした者たちに栄光をお与えになりました。この栄光とはまず、28節に万事を益となるようにしてくださるとありますので神が万事を用いて、悲しいことや苦しいことも用いて御子のかたちと同じ姿にしてくださるという意味です。昨日母に導かれて伯父が主イエス様の救いに与りました。もう89歳という年齢になっておられお体も今は自由の利かない状態ですが、自由に走り回ることができる若い命にも勝る義、すなわち罪の赦しと永遠のいのち(神との和解)、そしてやがて栄光に与る特権を頂きました。

しかし、御子のかたちにと同じ姿に変えられるための方法は私たちが握っているのではなく、28節と29節によりますと神の御計画によってなされることが分かります。そして28節は御子が栄光に与る兄弟姉妹の長子となってくださるところまで私たちを変えてくださるのです。すなわち、かつては罪に死んでいた私たちが「彼は私の弟です。彼女は私の妹です」と紹介されるに値する存在にまで引き上げて頂いたのです。

そして、その変革のみわざは神の御計画通りに進みます。29節に注目してください。あらかじめ知っていたとあります。これはガラテヤ書1章15節「母の胎にあったときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神」、エペソ書では1章4節「世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」エペソ書2章には私たちのかつての姿、すなわちエペソ2章1節自分の背きと罪の中に死んでいた者、罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んで、3節不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らであったそのすべてを知って下さった上で、十字架のゆえに救い出し贖い出し罪を赦してくださったのです。

でも、今も罪に縛られ苦しんでいる方がおられるかもしれません。神の助けはいつ来るのかと待ち望んでいる方々もあられる、と思うのです。でも、神はローマ8章28節必ず益、すなわち御子のかたちにするよ、29節主イエス様が「これが私の弟、妹です。」と自慢してくださるほどに造り変えるよ、29節から30節、知ったからには定め、召し、義とし、栄光(御子と同じ姿)に変えていくよと、その御計画を告げてくださっています。

その力はどこにあるのでしょうか。何億という貯金でしょうか。それは悪魔に対しては無力です。しかし私たちに与えられているのは弱さと弱さの中にうめき働いてくださる御霊です。御霊がうめいてくださって栄光の主のお姿にまで造り変えてくださるのです。安心してください。ただパウロ先生のように使徒26章14節「とげのついた棒を蹴るのは、あなたには痛い」。「アーメン。」と悔い改めましょう。

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