「権威とは」(マルコによる福音書3章13〜19節) ( 6.19/2011 )
「また、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」(15節)

本日は、父の日礼拝です。この教会もわたくしたちひとりひとりも多くの方の愛の支えを頂いて守られてきたことを、深く感謝しております。

本日お読み頂きましたところは主イエスが12人を宣教のためにお立てになったという記事であります。けれども、4福音書及びパウロ書簡を見比べてみます時に、そのメンバーは一様ではありません。おそらく、その原因は主イエスの側には多くの方がおられ熱心に歩んでいる方が多くおられて見分けがつかなかったのだと思います。

さて、主イエスがこのお弟子たちに与えられたものは、「権威」であったと聖書記者は証ししています。世の中には多くの権威があります。そしてその多くは支配力を誇る権威であり支配される人を不幸せにしてしまうものです。けれども、良くない力であると感じつつ、いつしかその力の虜になってしまう、そんな世ではないでしょうか。

主イエスの特徴は仕える者であったということです。決して威張って他者を服従させる方ではありませんでした。彼は弟子たちにも仕える者となることを勧めています。
そしてここで彼が授けている権威は、彼と同じ権威という意味です。ですから他者を服従させる権威ではなく自分自身の内に働く悪しき力を治める権威という意味です。

ある事業所の所長さんが、自分の会社の社長を尊敬しておられおっしゃいまいました。「〜さんは、自分が辛い立場に立たされた時、部下である私たちを一言も責めなかったんです」と。
私たちが持たなければならないのは、他の人を治める権威でなく、この社長さんのように自分自身を治める権威なのではないでしょうか?
主イエスは権威と共に痛みがあることを教えてくださったのではないでしょうか。今も私たちの内側にもこの権威は働こうとしているのです。

TOP