「わかっておられる神」(アモス3章5節) ( 10.27/2024 )
「罠も仕掛けられていないのに、鳥が地の鳥網にかかるだろうか。何も捕えていないのに、鳥網が地面から跳ね上がるだろうか。」(5節)

'Does a bird fly down to a trap on the ground when no bait is there? Does a net spring up from the ground when it has not caught anything?`(Amos 3:5)

このアモス3章は北イスラエルが神によってエジプト(罪の奴隷)から救い出された民であり、選び出された民であり、神と約束を交わし神と共に歩く民であり、獅子に見られている民であり、若獅子に捕えられている民であり、罠すなわち地の鳥網(罪)にかかっている民であり、既に角笛が吹かれている町に住む者であり、混乱と抑圧、暴虐と暴行が露見している民であるとアモスによって告発されています。

そして11節以降は裁きの預言です。そして神に対して悔い改め、立ち返る人々が少ないことは12節に語られています。獅子の口から取り返される羊の二本の足、あるいは耳たぶ、寝台の隅や長椅子として表わされています。そして、ベテルの祭壇の角は折られ、地に落ち、象牙の家は滅び、大邸宅は消え失せると。

神は私たちの力で悪魔の力に抗えないことはご存じなのです。それゆえに「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためなのです。」(2コリント5章21節)すなわち救いは私たちの熱心や能力によるのではありません。主イエス様の十字架にだけあるのです。ゆえに信仰告白だけでも立派です。ルカ7章46節の女性のように涙だけでも立派です(主は知っておられます)。人生の象牙の家や、大邸宅、耳たぶや寝台の隅やダマスコの長椅子、それぞれ委ねられているものが違っても大丈夫です。主が救い出してくださるのです。

「神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。」(8節)神は罠にかかった鳥が罠の籠を飛び上がらせ揺らすことしかできないことをご存じなのだと語っておられます。すなわち、罠を破れないから教会には行けないと思わないでいただきたいのです。罠を破ったお方は主イエス様ただおひとりです。このお方を信じる者がその信仰のゆえに主イエス様によって罪から救っていただけるのです。

アブラムもナタナエルも何度も主イエス様を信じ直しました。すなわち、私たちには悔い改めと信仰、そして信仰告白がいつも繰り返し必要なのです。北イスラエルの象牙の家や大邸宅が滅び消え失せたように、主イエス様の十字架の贖いを信じた時、わたくしたちの古き人もキリストと共に神の裁きを受けたのだと信じましょう。鳥網を打ち破った主イエス様のおられる所に一緒にいることを信じましょう。
「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。『私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神』と。主こそ 狩人の罠から 破滅をもたらす疫病から あなたを救い出される。主は ご自分の羽であなたをおおい あなたは その翼の下に身を避ける。主の真実は大盾 また砦。」(詩篇91篇1節〜4節)

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