「みことばを聞いて行う人生」(マタイ7章24節) ( 11.10/2024 )
「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。」(24節)

'“So then everyone who hears my words and puts them into practice is like a wise man. He builds his house on the rock.”`(Matthew 7:24)

ジョン・バンヤンは「私はプラトンの本もまたアリストテレスの本も読んだことはない。ただ、イエス・キリストの恩恵にあずかった憐れな罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」(内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』1946 岩波文庫 50-52頁)と言って1678年天路歴程を著したそうです。世には多くの書物がありますが彼には聖書しかありませんでした。しかし、その聖書が彼にイエス・キリストの恩恵を教え造り変え支えました。そしてその信仰は彼の人生を牢獄へ導きました。けれども牢獄の中でもイエス・キリストは神であったのです。牢獄の中でも彼はイエス・キリストに仕えました。

1節から20節までは他人からしてほしいと望むことを行うこと。
21節から23節は不法を行う者は主から退けられること。
24節から29節はみことばを行う人と行わない人の違いについて。

みことばを行う人は岩の上に家を建てる人です。そしてそれはお金で建てるのではありません。みことばを聞いて行うことによって建てるのです。セメントは70年から80年硬化し続けるそうです。しかしみことばは行わなければ砂のままです。自分の力で悪魔と戦うのではありません。みことばを行うことによって戦うのです。同時にみことばを聞きそして行うことによってセメントに水を加えかき混ぜるように大切な戦いの備えを行っていくのです。

さてその道筋は、14節に「狭い門から入れ」とあります。すなわち、現状は15節の偽預言者から始まるのです。誰も偽預言者になりたい者、甘んじ続けたい者はいません。でも悪い実を結び、23節に主からも知らないと言われる所から信仰生活は始まるのです。30年以上前に聞いたお話ですが、見た目に美しい淑女に隠された白髪があり、また美人で多くの男性から愛されてきた女性は、奔放な生活を続けた結果(一人の人だけを愛することができなくなってしまった)と訴えたそうです。私たちにも彼らに似た苦しい現実があるのではないでしょうか。けれどももし、今日みことばを行うなら、岩の上の人生になって嵐を恐れなくて済むというのです。

そのみことばを行うとは、「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1章7節)を文字通り信じることであり、自分自身が神の御子の血によって初めて赦されそして救われた罪人に過ぎないことを受け入れることです。

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