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『神こそわが助け』(詩編46篇1節〜11節) ( 2.16/2025 ) |
「神はそのただ中におられ その都は揺るがない」(5節) 'Because God is there the city will not fall. God will help it at the beginning of the Day.(Psalm 46:5) 序. いじめはこどもだけの問題ではない。「どこにも助けを求められない」ことが最大の問題。神の言葉である聖書には「神はそこにある助け」と書いてある。どんな苦しみにとっても神こそ私の助けである。成長した信仰者にも苦しみはある。いや多い。 そこで「いと近き助け」を経験する時、信仰が成長する。神の助けを経験し、信仰が成長するのと神の助けを経験しないのとの違いは、 1.神に叫ぶかそれ以外に頼るか 「シロアハの水を拒み、レツィンとレマルヤの子を喜んでいる」(イザヤ8:6)。神の助けを得る方法は祈りと御言葉。主に頼らず、主以外のものに頼る時、かえってその力に飲み込まれてしまう。「人間に頼るな、鼻で息をする者に。そんなものに何の値打ちがあるか」(イザヤ2:22)。シロアハの水はいのちの水。イエス様の言葉は内から起こる力。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です」(一コリント1:18) 2.神の全能を本気で信じるか否か 神の助けを経験しない人とは、助けがすぐそばにあるのに気づかない人。エリシャの従者のように(列王記下6:16、17)。真水の上にある船のよう。 イエス様も「十二軍団を置いていただくことができないと思うのですか」と言われた。万軍の神の力は恐ろしいもの。神に逆らう時、一瞬にでも滅ぼすことができる力。戦時中、「こんなことをして裁かれないはずがない」と日本の現状を見て、クリスチャンは胸を痛めていた。恐ろしい原爆が起こったが、それは戦争を止めた。神を畏れない者を神は見過ごしにはされない。神の助けを信じつつ、自分自身が主の側に立つ者でいなければならない。ヨハネ15:7。リンカーンは「問題は自分をいつも神の側に立つように祈ることだった」と言った。神の御心に沿う者はどんな願いも神に打ち明けられる。 3.神の前に静まるか動き回るか 「やめよ」「静まれ」と神は声を発せられる。私たちは動きたがる。しかし、神が動くのは、私たちが神に明け渡す時。祈りに時間を取る時、一つ一つ御心に適わないものが示される。それを悔い改め、剪定していただく作業をすると、 主の愛が心に満ちて来る。その時、人を赦し、平安に満たされ、癒される。 「地の果て」まで戦いを止めさせるのはキリストの十字架の平和のみ(エペソ2:15,16)リンカーン大統領は「心の中から敵をなくすこと、そうすれば敵はなくなる」。と言った。彼の闘いは祈りによって勝利した。勝利の後、敵であった人物を新しい要職につかせた。真の意味で国を一つにした。 死の谷においても 詩編23編。人の最も恐れるのは死。しかし、「主がともにいませば」恐れがない。ウエスレーは臨終の苦しい息の中、「もっとも良きことはイエス様がともにいること」と二回言って召された。私たちも神を心の真ん中、生活の真ん中、人間関係の真ん中、仕事の、趣味の真ん中にお迎えし、主の愛によって恐れを締め出していただこう。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」(一ヨハネの手紙4:18) (説教者;田代美雪牧師) |
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