『神の和解を受けなさい』(Uコリント5章17〜21節) ( 7.13/2011 )
「そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」(20〜21節)
 
わたしたちがキリストと出会って新しくされるのは、大きな恵みです。しかし、新しくされるためにはキリストのものとならなければなりません。そして、キリストのものとされるために、わたしたち自身が砕かれる必要があるのです。わたしたちは、今までもいろいろな経験を通して学んできています。しかし、この世の標準によってではなく、創り主である神の前に自分自身を点検することが必要です。神はわたしたちの弱さを知り、わたしたちが重荷を下ろして自由なものとなるように働いてくださっています。ですからわたしたちは自分の弱さを悲しむのではなく、その弱さの中に働かれる神の御手を喜ぶことが出来るのです。神はどんな時もわたしたちと共にいてくださいます。しかしわたしたちは知らず知らずのうちに、神から離れてしまうのです。そんなわたしたちのために神はキリストの十字架によってわたしたちの罪を赦し、わたしたちを神と和解させてくださいます。神がキリストの十字架によってわたしたちを義としてくださっているのですから、信仰を持って、神の用意してくださっている神の和解を受け、新しい出発をしようではありませんか。(説教者 船田肖二牧師)

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