『神の喜ぶ信仰者』(ヘブル11章1節〜6節、13節〜16節) ( 5.12/2025 )
「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。」(ヘブル11章13節)

序.召天者記念礼拝です。「信仰がなくては神に喜ばれることはできません」。今日は信仰の先輩方を想い、信仰を受け継がせていただきましょう。

1.神に喜ばれる信仰者 アベルとエノク 

カインは自分の義に頼って礼拝した。アベルは自分の罪深さを知り、主イエスの十字架に頼って神に近づいた。「自分は正しい」と言う人の礼拝でなく、「神さま罪びとの私をお赦しください」と悔い改める礼拝が神の受け入れられるいけにえ。
エノクは特別な人ではない。しかし、単純な信仰の人。ただただイエスを信じた。幼子が母に抱かれるように、神を信ずる人を神は一番愛される。

2.神の痛みを共に負う宣教者 ノア

ノアは神の裁きの宣告を真正面から聞いた人。まだその兆しのまったく見えない時に。神の裁きを語ることは苦しい。しかし、それは事実。「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(ヘブル9:27)。楽しい、美しい、癒しだけが福音ではない。神の裁きの前に必ず立つ時が来る。そして、その日は近づいている。先延ばしにしないで、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」(ヘブル4:7)。今は世俗化の波にのまれやすい時代。「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり」(マタイ24:38)にうつつをぬかしてはいけない。ノアの箱舟は人々の救いのため。自分自身と周りの人の魂を救うため、目を覚まして宣べ伝えよう。

3.神に「はい」と言う人 アブラハムとサラ

アブラハムの生涯は「従う」生涯。「従う者に賜う聖霊」(使徒5:32)。
神の喜ぶ人とは「従う」人。「神の命令を守ること、それが神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません」(ヨハネの手紙第一5:3)。
なぜなら、神は私に一番善い方。どんなに苦しくても、期待通りでなくても、アブラハムは後ろの橋を落として、前だけを向いて進んだ。
そして、信仰の報酬を受けた。その約束のゴールが主イエス・キリストの救い(ヨハネ8:56)。

結.ただ主イエスを頼りに

もし、私が召される時、私が一番気がかりなのは、「我が子が信仰をまっとうするように」ということ。自分自身も信仰のコースから落ちないように。主から離れないように。主イエスを持つことはすべてを持つこと。主イエスから離れることはすべてを失うこと。失敗しないようにということが大事ではない。ただ信じ、ただ従うことが大切。
「見よ。わたしは世の終りまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ27:20)

(説教者;田代美雪牧師)

TOP