「神の飢饉と教会」(アモス8章9節) ( 6.22/2025 )
「その日には、―神である主のことばーわたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする。」

`The Lord and King announces “At that time I will make the sun go down at noon. The earth will become dark in the middle of the day.(Amos 8:9)

紀元前763年6月15日にイスラエルでは皆既日食がありそのことに類似する神の裁きがあることをアモスは預言しています。鈴木昌という先生はR・スミスのことばを紹介して「9節10節のメッセージの最悪の部分は暗黒や悲嘆の激化ではなくて、神がイスラエルの破壊者になられた点である。」と言っておられます。

アモス書の7章1節から9章10節は決定的な裁きの部分で、更に8章については1節から3節は夏の果物(いちじくまたはぶどう)、4節から6節は弱者への圧迫、7節から14節は裁きの部分になっています。そして、神の裁きの最も厳しいものが主のことばを聞くことの飢饉です。現代もまさに情報としての聖書のことばは溢れ返っておりますけれども私たちの心が神によって閉ざされてしまい聞くことができない状態になっております。

14節、「彼らは、サマリアの罪過にかけてこう誓う。『ダンよ、あなたの神は生きている。』『ベエル・シェバの道は生きている。』しかし、彼らは倒れて二度と起き上がれない。」ヤロブアム一世がベテルとダンに金の子牛像を建立し、ベエル・シェバも礼拝の場所のはずが偶像化した状態でした。彼らは真の神を生きたお方とする代わりに偶像を生きた者として礼拝してしまっていました。その結果二度と起き上がれないという神のさばきが告げられています。

けれども私たちが今日、神が破壊者となられるという裁きが世に顕著に表れている時代にあって主の教会に集い主を生けるお方として礼拝させていただけていることは大きな恵みではないでしょうか。

ルカ4章21節に「今日この聖書のことばが実現しました。」とイエス様は捕らわれ人が解放され、目が見えない人の目が開かれると言われたにもかかわらず不信仰になってしまい、イエス様からツァレファテのやもめとナアマンを引き合いに出され叱られイエス様を崖から突き落とそうとしてしまう群衆でしたが、それでもその直後にカペナウムで悪霊を追い出し、シモンの姑や様々な病で弱っている方に手を置いて癒された主イエス様は今日も私たちを癒してくださる救い主です。主イエス様は聖霊によって聖書のみことばによって御業をなしてくださいます。私はルカ23章43節を通して共にいてくださる主イエス様を知り救われました。

主イエス様を聖霊によって示されたならば、電車に乗るようにすべてをイエス様にお任せして罪を悔い改めて、生ける真の神に礼拝をおささげしましょう。「主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。」(ルカ4章18節)みことばの飢饉の中でみことばを聞くことができる神の教会に導かれている恵みに感謝しつつ。

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