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『慰めに満ちた神』(2コリント1章3節〜7節) ( 6.30/2025 ) |
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます」(4節) 1.慰めは神の領域 「悲しみ」ほど、人にわかってもらうのがむつかしいものはない。それは、外に見えない「痛み」。だからこそ、「慰め」は神さまにしかできない。 2.神さまはどのような「慰めるかた」か? では、神さまはどのような「痛み」を経験されたおかたでしょうか? 1)子を失った父 親にとって、子を失うことは自分が死ぬよりつらいこと。父なる神は、人間の世で一番つらい痛みを経験された神。 2)ばかにされた神 人間の苦しみの中でも一番苦しいことは、ばかにされることです。恥ずかしい目にあわされることです。人から笑われることです。それは、人間の中に、「神のかたち」という尊厳がそなわっている証拠です。 神である主イエスは、はだかで十字架の上に上げられ、その周りで、人々はさんざん神の名を汚し、イエスをのろいました。しかし、「私たちも彼をた尊(たっと)ばなかった」(イザヤ書53:3)と聖書は言います。 私も神を知りながら、神をばかにして、神に従いませんでした。神を神と思わない自分勝手な生き方をしました。しかし、そんな私を救うために、イエス様は十字架に架かってくださって、私の罪をぬぐいさってくださいました。十字架は私のためのはずかしめだったのです。 3)人の苦しみを共に味わう神 「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、」(イザヤ63:9) 人間の一番つらい経験をとおってくださった神であるからこそ、私たちの泣く声を、言葉にならない痛みをそのまま見過ごすことができません。「苦しい時は『詩編』を読むと良い」と友人が言いました。そこにはありとあらゆる嘆きが書かれています。しかし、いつも最後は祈りや賛美で終わります。闇の中に神の光が差し込みます。苦しみは苦しみで終わりません。 「夕べに朝に、また真昼に、私は嘆き、またうめく。すると 主は私の声を聞いてくださる」(詩編55:17) 3.「後で分かる」 主の約束を信じて 苦しみにあうことは誰にとっても嫌なことです。しかし、神さまはその意味を後の日にわからせてくださいます。「わたしがしていることは、今はわからなくても、後で分かるようになります」(ヨハネ13:7)。主の約束を信じましょう。 「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」(詩編30:5口語) (説教者;田代美雪牧師) |
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