「群衆を愛されたイエス」(マルコ4章1〜9節) ( 7.24/2011 )
「おびただしい群衆がみもとに集まったので。」(1節)

 主イエスの周りにはいつも群衆がいたとマルコは証言しています。この群衆の中にはさまざまな方がおられ、主イエスと弟子たちにとって、どのように感じられていたのかが解るのがこのテキストでないかと思います。

 このところで、主イエスが道ばた、石地、茨の中、そして良い地と四種類の例えを出しておられますが、多く集まった群衆はイエスにとって様々な悩みを抱え、病(石や茨)と闘っている人々であり、主イエスの助けを必要としていた人々で、主イエスにとって助けになる人々というわけではなかったと思われます。けれども主イエスにとっては貴い人々であったと伝えているのでないかと思うのです。たとえ主イエスの言葉に興味がなくて病だけ癒されたらそれでいいのだと感じている方々ばかりであったとしても良かったのです。その中に主イエスの思いを受け取ろうとする人がひとりでもおられたら、その人は豊かな実を結ぶと教えられていると思います。

 教会は様々な願いを持って集われる方をそのまま受け止めて良い所なのです。実を結ばない人も結ぶ人も神に愛されています。神は愛のうちに解決の順序も神の御心を求める時もご計画下さっています。良い地はそれぞれに与えられています。そこを耕しましょう。初代教会のように命を取られなかったとしても、人を死から救う力が福音です。石をくつがえす力も福音です。福音とは神が罪人を招かれたということです。

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