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「非常な恐れ」(1サムエル12章14節〜25節) ( 8.31/2025 ) |
「そしてサムエルは主を呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨を下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。」(18節) 'Samuel called out to the Lord . That same day the Lord sent thunder and rain. So all the people had great respect for the Lord and for Samuel.`(1 Samuel 12:18) ここに、王を求めたイスラエルの歴史が始まっています。現代の私たちにとって王とは日常生活を支配し評価する隣人なのではないでしょうか。すなわち、私たちと同じ弱く不信仰な人間です。そして王も神に対して誠実でなければ役に立たないのですが私たちは王や隣人の顔色は窺いますが、神の御心を気にしない傾向にあります。 1.王を求めるべきではなかった(17節) 王を求めるべきではなかったということはサムエルの祈りに対して18節に主がその日、雷と雨を下されたことにより明らかです。では、王でなく何を求めればよいのでしょうか。それは主ご自身ではないでしょうか。すなわち、王や隣人ではないのです。支配者を恐れることではなく、私共が求めるべきは主ご自身です。 2.非常な恐れ(18節) 主を求める人生に何が起こるのかと言いますと、主に対する恐れです。そして主を恐れる人生へとすべての人が導かれる必要があります。そしてそのように導く器を必要としています。 3.サムエルのような器(18節) 「役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。」(21節)すなわち、自らが救う力のない空しいものを追うことのない人物を必要としています。そして今、雷と雨を下されて主を恐れる人生に入れられている器を必要としています。 わたくしは先に召された先輩方、そしてご高齢の先輩方に何名もそのような器を見せていただきました。それが私共の財産です。すなわち人生はハッピー、ハッピーというものではなく、支配者であられる神との厳しく真実なお交わりです。 |
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