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『キリストのからだなる教会』(コロサイ1章21節〜2章3節) ( 10.19/2025 ) |
「御子はそのからだである教会のかしらです。」(1章18節) 'And he is the head of the body which is the church.`(Colossians 1:18) 序. 主イエスはどなたであるか?それが私の信仰生活を決める。 1.御子イエスは世界の創造者、また保持者 コロサイ教会は純粋な福音によってパウロに褒められた教会。しかし、その純粋な信仰を脅かす、まやかしの教えが入りこもうとしていた。イエス・キリストは堕落して人間に近くなった神だと。パウロは教会に純粋な福音に堅く立つように警告する。異端はキリストの神性を否定する。キリストの神の栄光を汚す。そして、さもこちらが本当は賢い知者なのだと自分達に引き寄せようとする。 パウロは涙を流して警告する。御子イエスは天地の創造者、保持者だと。 被造物を見る時、神の知恵がいかに細やかかを見る。イエス様は私達を造り、愛し、いつも保ってくださる神さま。 2. 教会はキリストのからだ 「からだ」とは痛みを感じるところ。からだは様々な部分の集合体。教会も様々な人で成り立っている。そこに痛みが生じる。教会は神の家族とも言われる。めんどくさいのが家族。そこにとりなし手が必要。ある信徒は寝たきりの老婦人が便秘で苦しみ悶えていた時、自分の指で掻き出し一命を取り止めた。愛は「そこまで!?」ということも為し得る。その言動力は自分の罪が赦されたという十字架の原点。罪の自覚が深いほど神を愛し、神の造られた人を愛する愛が増す。「あなたがたを責められるところのない者」にしてくださるのは十字架の赦し。どこに持っていっても解決できない罪の問題を解決するこの方以外に神はおられない。罪赦され、罪から来る死の問題が解決していただいた人だけが、他の人のために執り成す祈りができる。 3.真の知識の人に (2:1-3) しかし、私達はすぐに自分が罪赦された罪人であることを忘れてしまい、人を裁いてしまう。パウロは、最初の福音からさらに成長前進することをコロサイの教会に願う。成長をさまたげるのは偽の教え。神を否定する知識。それは人を縛り、知性を暗くさせる。「知者と称して愚かに」。教会を傷つける。 成長させるのは真の知識。パウロはいかに聖書に取り組むことに死闘したか。「人は栄華のうちにあっても、悟ることがなければ 滅び失せる獣に等しい」(詩編49:20)。しかし、パウロは教理だけではなかった。生活の真ん中で聖書に生きた人。人間くさい涙の人。真の知識は心の知識。思いやり深い知識。「神なき学問は知恵ある悪魔をつくる」。神の御心を為すための知恵と知識はすべて主イエス・キリストから来る。聖書から離れて神に喜ばれる知識はあり得ない。自分を喜ばせる知識はいつかすたれる。 問題が起こる時も、いつも中心が神であるならば、問題は問題でなくなる。 (説教者;田代美雪牧師) |
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