「愛のはかり」(マルコ 4章21〜25節) ( 8.8/2011 )
「また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。」(24節)

弟子たちとほかの者たち(11節)、そして隠された奥義という構図がこの4章にはあるようです。ここで、「あかりをもってくる」という「あかり」が神の国の奥義かな、と思います。弟子たちは何らかの理由で神の国の奥義を隠してしまっているのですけれども、やがてそれは明らかになるとマルコは語っているようです。弟子たちは自分たちを奥義の理解者と思っているけれども、本当の奥義とは???と、マルコは言いたかったのでしょう。人をゆるしてみなければ、ゆるした人にしかわからないものがあると思います。それがおそらく奥義と言われる所以でしょう。当時の弟子たちにとっての「ほかの者たち」とは、ユダヤ人であっても生粋のユダヤ人でないクリスチャンのことを言ったのではないかと思います。毛色の違う人をゆるし、受け入れることは驚異だったのでしょう。けれどもルカは使徒行伝に、彼らが蔑んでいた異邦人に聖霊が下った体験を証ししています。あかりは隠されていてもやがて現れます。

「持っている人は更に与えられ」とあります。持っているかどうかは暗闇でわかります。神が心の暗闇を照らして下さっているならば、私たちの心にはすでに愛が与えられているのです。愛で量り始めてみませんか。更に愛が与えられると約束されています。愛して更に新しい心を頂きましょう。愛は周りの方に証しするために神から与っているものなのです。

TOP