「知らない世界」(マルコ 4章26〜29節) ( 8.15/2011 )
「夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。」(27〜28節)

信仰生活という言葉が教会内でも聞かれます。けれども、信じて生きるというよりは、信仰を見せる生活、と受け止めてしまっていないでしょうか。一方、主イエスの生活はまさに自然の力で育つ作物のように神の力に任せたものであったと教えているようです。

(人を赦すこと、それが出来たら何の苦労もありません)と先週の礼拝メッセージを聞かれた方で感じた方もおられたかもしれません。私たちの日常には担いきれない重荷があると思います。神を求め続けるのはそのためかもしれません。

主イエスは作物と農夫の関わりの中に神の働きを見ておられたようです。すなわち、農夫は受け身でした。作物もまた受け身でした。天候や作物に生活の必要を依存していた農夫のように私たちも神に多くを依存しています。ただその中で、神はご自身の国を成長させてくださると主イエスは期待しています。私たちも彼と同じ姿勢で生活して良いのではないでしょうか。雨が多くて辛いこともあるかもしれません。けれども神は必ず晴れの日も収穫の日も、癒され慰めを得る日もきっと備えてくださっています。神には涙をぬぐう力もあると信じます。

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