「わたしの霊によって」(ゼカリヤ4章1節〜6節) ( 6.21/2026 )
「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。」(6節)
'So he said to me “A message from the Lord came to Zerubbabel. The Lord said ‘Your strength will not get my temple rebuilt. Your power will not do it either. Only the power of my Spirit will do it’ says the Lord who rules over all.`(Zechariah 4:6)

ゼカリヤはゼルバベルのために幻を見せられます。それは金の燭台の幻でした。神はモーセには燃える柴を見せてモーセを燃える柴のように用いられたように、燭台の幻はゼルバベルを燭台として整えて光を照らし悪魔の力を追い出すために用いるためでした。

けれども、幻を示されました時、ゼカリヤは燭台は見えましたがその意味は分かりませんでした。それで、「主よ、知りません。」と答えます。そして知りませんと答えたゼカリヤへの主の使いの答えが6節でした。
「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。」すなわち、燭台の働きは自分の力ではできないのです。権力や能力では罪人を救うことはできません。人の栄が現わされる時、神の栄は現わされません。それで神は燭台の両側に2本の生きているオリーブの木を置いて、絶えず油を燭台に送ってくださるのです。神は常に金の燭台すなわち天につける者たち、洗礼を受け、古い人のお葬式を終えて新しい命に生かされ天国の民とされている者たちに霊を注ぎ続けてくださるのです。絶えず新しい恵を受けて光を照らすことができるのです。
それは敵の前です。詩篇23篇5節「私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。 私の杯はあふれています。」 
そして詩篇46篇4節「川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。」この霊は川です。ですから、詩篇46篇2節「われらは恐れない」とあります。どんなに荒れ狂う世になりましても静かに神の恵が流れています。詩篇65篇9節「あなたは地を訪れ 水を注ぎ これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたはこうして地を整え 人々の穀物を備えてくださいます。」詩篇87篇7節「歌う者も 踊る者も『私の泉はみな あなたにあります』と言う。」詩篇92篇10節「私にみずみずしい油を注がれました。」更に、レビ記24章1節から4節では油を整えるのはアロンの責任でしたが、私たちの祭司の長は主イエス様(へブル9章)です。

ではなぜ、油が途絶えてしまうのでしょうか。それは七本の管が詰まっているのです。神との間の隔たりの問題です。すなわち赦されていない罪の問題です。どうすればこの管を通すことができるのか、そして通し続けることができるのでしょうか。

1.聖別 マタイ3章10節「斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」イスラエルは什一献金を怠っていました。今まで怠っていた神への奉納物をささげますなら、神はその妨げを取り除いて、再び恵を注ぐことができます。またローマ12章1節「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」一番大切なことはそのままのあなたを神にお献げになることです。

2.信仰 ルカ11章34節「からだの明かりは目です。あなたの目が健やかなら全身も明るくなりますが、目が悪いと、からだも暗くなります。」すなわち、信仰とは聖別に承認のハンコをつく(押す)ことです。不信仰に陥って神の恵を妨げることのないようにしましょう。(ヨハネ15章16節参照)

3.祈祷 常に流れる川の流れのように途絶えることなく神に対して祈り続ける必要があります。神の御前で祈っていなかったり、漠然とした祈りをささげるのでなく、真心から祈らなければなりません。神との隔たりのない祈りが必要です。そうするなら隔たりがありませんので絶えず新しい生きた油を受けることができます。

ですから心を守りましょう。悪魔は私たちの心に悪しき者を送り込みます。しかし、聖別と信仰と祈祷で心を聖く保ちましょう。そして絶えず油を注いでいただいて暗闇の世に絶えず光を放ちましょう。神があなたに霊を注いで地上の灯としたいと願っておられるのです。

ヨハネの黙示録4章5節「御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。」天国の光、熱、愛の源は霊です。神はこの霊が暗い地の上にも宿ることを願っておられます。イザヤ61章1節から3節には「神である主の霊がわたしの上にある。…彼らは、義の樫の木、栄光を現わす、主の植木と呼ばれる。」あなたは、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着ける者とされると約束されています(イザヤ61章3節)。ヨハネ20章22節「聖霊を受けなさい。あなたがたが誰かの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」最後に必要なペンテコステの火の妨げとなり、また着火の材料ともなるものは何でしょうか。現実の世(悲しみ、苦しみ、病、困難)ローマ12章1節です。神への信仰はフィクションではなく現実です。そして権力でも能力でもありません。更にこのことを可能にしてくださるお方がおられます。黙示録1章13節「また、燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。」民数記8章2節「アロンに告げよ『あなたがともしび皿を載せるとき、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい』と」私たちの大祭司であられるイエス様に苦しみと悲しみ、病と弱さに火を頂き神の栄光として頂きましょう。
(参考著書;B・Fバックストン述 「赤山講話」41頁〜53頁)

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