変わらない聖霊(ローマ5章1〜11節) ( 5.25/2010 )
「そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(5節)

耐えられない重荷でつぶれそうな人を神は裁くのでなく愛してくださっています。(ローマ人への手紙3章21節から31節までをお読みください。)わたくしたちは弁償するという感覚で罪を負って生きております。けれども、神はイエス様をあがないの供え物とされてわたくしたちに罪の赦しをくださいました。このことのゆえに、わたくしたちは自分の義を主張できません。それは行いによって義とされたのではないからです。「彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスのあがないによって義とされるのである。(3章24節)」行いの代わりにわたくしたちが得たものは信仰です。(こんな私が神に愛されている)という信仰を得たのです。

続いて4章5節から8節には詩篇32篇のダビデの詩が紹介されています。行いがなくても神に義と認められた人の幸福について記されています。そして4章の後半にはアブラハムがサラを通して神に対する信仰を義と認められたように、主イエスがわたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるためによみがえらされたことを、信じる信仰の義の与えぬしが証しされています。

多くの試練によってわたくしたちは自らの罪深さに悩みます。そのときこそ教会へお越し下さい。教会は自分の義を誇るところではなく、神の義が賛美されるところです。主イエスのあがないの愛を体験し彼に感謝する交わりの場が教会がです。これからも聖霊が神の愛の保証人です。隣人の愛が乏しい時も聖霊が神の愛をあなたの心に届けて下さり、あなたをなぐさめ満たし生かしてくださいます。大きな試練の中でも聖霊の働きは途絶えることがありません。

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