『小さなささげもの』(ルカ21章1〜4節) ( 9.26/2011 )
大きなものや目立つ行いに、人は関心をもちます。私たちはそのようなものを求めて生きるべきでしょうか?

1.金持ちと貧しいやもめ
神殿の庭にラッパをさかさにしたようなかたちの自由献金箱がありました。金持ちと貧しいやもめがささげているのをイエス様はごらんになりました。金額を比べるならば、やもめのささげたものはとるにたりないものであったといえるでしょう。けれどもイエス様は彼女がだれよりも多くささげたとおっしゃいました。神の国の計算方法は私たちのやり方と違います。

2.喜びのささげもの
この女性は、誰かに強いられてしぶしぶ献金したのでしょうか?
旧約聖書の中にささげものをどのようにすべきかが書いてあります。「心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい」(出エジプト25:2)。この女性の心中は私たちにはわかりません。しかし人のすべてをご存じのイエス様が喜ばれたからには、純粋に神様に対して喜んでおささげしたに違いありません。人から見れば貧しかったかも知れませんが、この女性の心は神様のしてくださることへの満足と感謝、喜びがあふれていたのです。そしてイエス様は私たちのすべてのことを、誰が知らなくても私は知っているとおっしゃるのです。

3.神様からのささげもの
神様こそが私たちに一番、すばらしいものをおささげ下さったお方です。イエス様という大切なひとり子を私たちのためにおささげくださったのです(ヨハネ3:16)。それは、私たちの罪がゆるされて、神様と共に豊かに生きることができるようになるためです。イエス様は十字架で死なれて、よみがえってくださいました。不安の多い時代にも、死に負けないいのちをもって生きられるように、イエス様は大切ないのちを私たちにお与えくださったのです。

私たちを途方もない愛で愛して下さった神様のために、私たちはどのように生きられるでしょうか。わたしたちの限られた生涯を神様におまかせすることがどんなに尊いことか、この女性は私たちに示してくれています。
あなたはどのように生きていくのでしょうか。神様はあなたにどうしなさいとおっしゃっているのでしょうか。心を静めて考えてみましょう。

「もし、イエス・キリストが神であられて、私のために死なれたのなら、私が払いすぎる犠牲などはあり得ない。」(C.T.スタッド)(説教 仙台国見教会 小泉 創牧師)

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