「何ももたないで」(マルコ6章7〜13節) ( 11.6/2011 ) |
「また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。」(8〜9節) 人を生かすものが何であるかを考えます時、恐らくそれは見えない神の力ということになるのではないかと思います。主イエスの弟子たちが人に見せることができたのは、みずぼらしい服装と誰かの加護を得なければ生きていけない生活でした。けれども、彼らは全ての人が神の助けを受けて生きていることを見せて回ったと思うのです。 教会に出来ること、それは死人が生き返るほどに新しい力を神が与えて下さることを体験することではないでしょうか? 「教会に行って、ぶっしあわせになって・・・」とご近所の方に言われて一時落ち込んだと証しして下さった信徒さんがおられました。病気や困難は確かにつらいものです。けれどもどんなに世の中の愛が冷えてしまう出来事が起こっても、共に食事をし交わり共に歩んで下さるお方が神です。具体的には教会の隣人が共に歩んでくれるのですけれども、確かに神はどんな中にも共にいて下さるのです。 何も持たない弟子たちは神によって生き生きと生かされました。他宗教の中で困難のある方も神は必ず愛し支えて下さいます。主の恵みはわたくしたちを新しい人生に導いてくれます(Tテモテ1:14)。生きる力は神から来ています。 |
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