「パンはいくつあるのか」(マルコによる6章30〜44節) ( 11.27/2011 )
「するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。」(38節)

今年は「想定外」という辛い言葉を何度も聞きました。通常想定外と表現される事柄は闇に葬られ人の手がつけられることもありません。わたくしたちの人生の困難や悩みも自分の力を越えていると感じられるとき放任せざるを得なくなります。

けれども、主イエスはお腹をすかせた群衆を前にしてパンを数えさせました。パンは五つ、魚が二匹というのが主イエス一行の持っているすべてでした。しかし、それを主イエスが祝福して分けられたとき、五千人もの人々を十分に養うことができたのです。

これはどんなに難しいことがあってもその現実を認め神に告白し助けを求めることが必要であることを教えているのではないでしょうか。主イエスはどん底(Tテモテ1章15節)だからこそ共にいて救ってくださるのです。『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。』私たちの神となって下さるのです。『誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ない。』「もし神の愛が深く感じられ、キリストの苦難の力を感じることができないなら、あなたが未だ新生していない証拠です。幼子のようにあなたの必要と無力と不信仰を告白して彼のもとに来られることです。彼は確かにあなたの要求に答えてくださいます。」(P・ウィルクス)。小ささや弱さの中に神の国が来ます。主イエスは私たちの祈りを待っておられます。

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